始まりは銀座の更地坪1億円超で売買成立

    当初は坪当たり1億円で土地を売ろうと思っていた。あの頃の日本では坪当たり約9000万円が最高取引価格で、世界一は香港の坪9500万~9600万円。それなら少し多い1億円くらいで、と思った。ところが後に諸事情を勘案すると売値を坪1億2000万円に上げる必要が出てきた。

    1985年11月26日の日経産業新聞は「『銀座で坪1億』に冷静」という見出しで、貸しビル大手の山京商事が東京・銀座6丁目のキャバレー跡地を約100億円、坪当たり1億2000万円で購入したと報じた。都心部では坪当たり5000万円以上で土地が売買されているが1億円超の取引は成立した例がなく、「行き過ぎは明らか」という不動産業界内の声を伝えていた。山京商事に土地の所有権が移ったのは同年10月28日。この取引を仲介したのが、当時不動産業を手掛けていた品田守敏氏だった。

    ※この記事は 週刊東洋経済PLUS掲載特集 今だから話せる狂乱の実像 最後の証言 バブル全史記事です。

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    (2017/5/20号 現)