戦後、日本の不動産の歴史を築き
65周年を迎えた今現在も
売買成約数の記録を更新しています。
東京都不動産のれん会
東京都不動産のれん会は、昭和35(1960)年に結成しました。現在会員は、都内一円の地域を代表する業者をはじめ、一部上場の中堅会社や、旧財閥系および鉄道系の大手不動産会社など、広範にわたる86社(2024年10月)で構成しています。
入会審査を厳格にしながらも、会員数は令和6年(2024年)10月には86社となり、過去最高の75社を大巾に上回る勢いで、会員が増え続けています。信頼と実績を積み重ねて65年、その歩みを振り返ると、実は戦後に成立した「宅地建物取引業法」の立法化や、日本初の業界団体である全日本不動産協会の誕生などと、直接的かつ、深く関わっていたのです。その軌跡について、要点を絞って紐解きます。
戦後、「宅地建物取引業法」の立法化を牽引
昭和20年(1945年)8月、第2次世界大戦の終戦を迎えて焼け野原と化した都市部は、圧倒的な住宅不足に陥っていました。しかしアメリカの占領下に置かれて旧憲法が廃止になると、全ての不動産に係る規制も、自由経済の流れに反するとして廃止に。不動産とは逆に建設工事に関する建設業法は昭和24年に公布されましたが、不動産取引に関しては無法のままだったため、悪徳業者がのさばって詐欺行為が横行したのです。そうした状況を打破すべく立ち上がったのが、のちに「のれん会」を創設する最主要メンバーたちでした。
彼らは、悪徳業者の駆逐と法律の立法化を目的にして昭和25年(1950年)から活動を始め、翌26年8月には「不動産取引法立法促進連盟」を結成しました。本部事務局が置かれたのは東京・神田須田町にある老舗不動産会社で、のれん会の通しナンバー1番となる、藤川不動産(当時 代表:藤川豊次郎氏)でした。加盟者は東京をはじめ、東海道や京阪神、山陽地方にも及び、全国大会が開かれた東京・千代田公会堂や日比谷公会堂には、多いときで1500人も集まりました。
その力で、大規模なデモと圧力活動を行ったのです。行政側も、立法化に後ろ向きだった態度を変えざるを得なくなりました。そして、6代目建設大臣に野田卯一氏が就任すると事態は急速に進み、昭和27年(1952年)4月に「宅地建物取引業法」が成立し、8月の施行に至ったのです。のれん会のメンバーが中心の不動産取引法立法促進連盟は、2年越しの活動を実らせることができました。
「全日本不動産協会」の設立と運営に貢献
悲願の宅建業法・立法化を果たした不動産取引法立法促進連盟は、行政や政財界からも、この団体を生かして、大きく育てようと言われる存在になりました。そして、今度はどうやってこの法律を業界内に周知徹底させるか、という指導と研修の役目を担うことになり、立法促進連盟は昭和27年(1952年)10月、「全日本不動産協会(略称「全日」、現在は公益社団法人化)」に改称しました。
当時、地方にも小さい有志の不動産業者による団体は存在していましたが、それらの団体を含め日本初の全国組織として誕生したのが全日本不動産協会だったのです。全国に3万1千人いたと言われる業者の半分以上が、会員になりました。
全日の初代会長は、東京急行電鉄(東急)を創業した五島慶太氏で、名誉会長には6代目建設大臣の野田卯一氏が就きました。理事・幹事には、国会議員や知事、大学教授などの有力者が名を連ねましたが、本部事務局が置かれたのは、前身の全日不動産取引法立法促進連盟のときと同じく、のれん会の通しナンバー1番の藤川不動産でした。
同代表の藤川豊次郎氏は全日の初代 東京本部長並びに筆頭理事に就任し、ほかにも、のれん会の設立最主要メンバーが、全日本不動産協会の理事の半数以上を占めました。
「東京不動産のれん会」結成
業界初テレビコマーシャルを放映並びに
番組提供スポンサー!!
宅地建物取引業法の成立に導いた不動産取引法立法促進連盟と、その連盟が母体になった全日本不動産協会。その両方で立役者となった者たちが、昭和35年(1960年)9月に結成したのが、東京不動産のれん会です。東京都中央区と千代田区を中心にした優良不動産会社26社が集まって、設立されました。
結成の主目的は、不動産業界に対する国民の信頼回復でした。法律ができて悪徳業者が処罰されるようになったとはいえ、業界に向けられる国民の評価は厳しいままだったのです。そこで、のれん会は業界初のコマーシャル放映をフジテレビで開始しました。会を結成した翌年の36年(1961年)6月から開始し、37年5月には週3回夕方に放送される番組のスポンサーと不動産業者の信頼回復に努めました。
ときを同じくして、のれん会は株式会社化して「株式会社不動産のれん会」に。そしてTV番組のスポンサーを3年続けた結果、国民の不動産業界に対する認知度は高まり、信頼の回復につながりました。
不動産流通経営協会(FRK)の前身「不動産取引センター」
を開設
のれん会は昭和41年(1966年)1月から、不動産取引所を開設し、会員同士による不動産取引を始めました。開催場所は、東京都新宿区の靖国通りにある、大和銀行のビル(現在はドン・キホーテが入っているビル)でした。月1、2回のペースで計33回開催された後、昭和42年に不動産取引センターとして更に取引に弾みをつけていきました。
昭和43年9月から、不動産取引センターになって以降、更に取引は盛んに行われました。その盛況ぶりは業界内で話題を集め、大手不動産会社も取引に加わるようになりました。そしてさらなる発展を目指して、不動産取引センターはのれん会と大手の共同開催になったのです。開催場所は、当時完成したばかりの霞が関ビルに移しました。
共同開催の形態で数十年間取引は続き、平成3年(1991年)5月、不動産取引センターは、「一般社団法人 不動産流通経営協会(略称、「FRK」)」になりました。FRKの前身が、のれん会の物件交換会だったことを物語るように、現在もFRKの理事並びに役員の約3割はのれん会のメンバーで構成されています。副理事長は、FRKに改称後も、のれん会から選出されています。
同様のことは、昭和40年(1965年)設立の「公益社団法人 東京都宅地建物取引業協会(略称、都宅協)」や、42年設立の「公益社団法人 全国宅地建物取引業協会連合会(略称、全宅連)」でも見受けられます。裏を返せば、宅建も、土台を作ったのはのれん会のメンバーだったと言えるでしょう。
都宅協の場合、初代会長はのれん会の佐々木義夫氏をはじめ2代目会長は駒沢弘明氏、3代目会長は中山弥十八氏、7代目会長は藤田和夫氏など、59年の歴史のうち、半分以上の32年間がのれん会のメンバーが会長や幹部を務めていました。
「東京都不動産のれん会」に改称
大改革を実施して、会の再構築・再生を図る
株式会社不動産のれん会は昭和45年(1970年)10月に解散し、翌46年9月に親睦団体「東京都不動産のれん会」として生まれ変わりました。順調に会員が増える中で、のれん会自社ビル建設の件で意見の食い違いから、会の存続が危ぶまれる時期もありました。
昭和61年(1986年)から始まったバブル景気が5年後の平成3年に崩壊すると、会員自身の会社の経営的問題などで会員は減るいっぽうに。従来からの会員が代替わりをする世代になって、事業を継承できずに会を去る者もいました。
そんな消滅の危機を回避すべく、創立55周年を迎えた平成26年(2014年)から、大改革が行われました。舵を取ったのは、同年に代表に就任した品田守敏氏でした。品田氏は数十年にわたって会の会計責任者を務めた方で、これからは従来の地域密着型の業者だけではなく、大手不動産会社や一部上場などの有力企業にも加ってもらい、会員を増強するべきだと考えました。
かつては、大手を入れると会を乗っ取られるとして避けられましたが、会の存続のために勝負をかけたのです。
その英断と行動力が功を奏し、三井不動産リアルティや住友不動産販売、東急リバブル、野村不動産アーバンネット、長谷工コーポレーションなどの大手やその他の上場企業、更に力量のある中堅会社などが、新たな会員として加わりました。
売買成約数がバブル期を上回る、会員数は86社に増加
令和6年(2024年)、物件交換会での売買成約数はバブル期を上回り、東京都不動産のれん会としての新記録を打ち出しました。会員数も増え続け、令和6年(2024年)10月現在、86社。過去最高だった平成元年(1989年)の75社を上回り、深い信頼関係とビジネスに発展する“太い人脈”づくりができるとして、入会希望が引きも切らない状態です。
それもほかならぬ、地域密着業者から中堅業者、大手までの広範にわたる会員たちが、互いの役割や立場を尊重し、協業と共存共栄しているおかげです。現在の会員の信頼関係に基づいた質と力量の高さは、ほかの業界団体にはない誇れる点で、東京都不動産のれん会の「財産」だと言えるでしょう。
今後も80周年、100周年と同業者から選ばれ続け、同時に、お客様から「のれん会の会員なら安心」と信頼していただける存在を目指して参ります。
のれんの誓い
のれん会の歴史
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昭和35年(1960年)9月「東京不動産のれん会」を結成(事務局は港区西新橋)
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昭和36年(1961年)6月37年5月より毎週 月・火・木 番組スポンサーとして放送開始
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昭和37年(1962年)9月「株式会社不動産のれん会」に改称 増資を含め合計 資本金 2,000万円
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昭和41年(1966年)1月不動産取引所を開設し、第1回不動産取引を開催(大和銀行 8F)
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昭和42年(1967年)不動産取引センターを開設
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昭和43年(1968年)9月大手不動産業者と合同で「不動産取引センターを設立 霞ヶ関ビル (現・不動産流通経 営協会/FRK)」にする
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昭和45年(1970年)10月株式会社不動産のれん会、解散
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昭和46年(1971年)9月親睦団体「東京都不動産のれん会」を結成
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昭和52年(1977年)5月事務局を新宿区四谷に移転
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昭和55年(1980年)11月のれん会のシステムを取り入れて「不動産流通近代化センター」発足
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昭和60年(1985年)11月世界で始めて中央区銀座で3.3㎡(1坪)あたり1億円を突破し、1.2憶円の土地取引が成約(のれん会会員が取引をまとめた)
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昭和61年(1986年)1月新年会(熱海、新かど旅館)に、初めて大手、住友不動産・安藤太郎会長が出席
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昭和62年(1987年)3月第1回神奈川のれん会と合同例会(京王プラザホテルにて。 以後、合同例会は16回開催)
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平成元年(1989年)5月会員数が75社になり過去最高を記録
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平成13年(2001年)5月例会で始めて、現役大臣の扇千景国土交通大臣に出席して頂き特別講演会を開催( パレスホテルにて)
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平成21年(2009年)1月創立50周年特別記念行実行委員会開催(帝国ホテル)
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平成27年(2015年)11月創立55周年の特別例会(石井啓一 国土交通 大臣、島村宜伸 元農林水産大臣・元文部大 臣の講演会を開催)
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平成28年(2016年)5月創立56周年の特別例会(森喜朗 元内閣総理大臣の講演会を開催(帝国ホテルにて)
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平成30年(2018年)3月創立58周年の特別例会(石破茂 元自民党幹事長、 毛利信二 国土交通省事務次官などお歴々の方々が出席)
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平成31年(2019年)3月創立59年の特別例会(菅義偉 内閣官房長官、石井啓一 国土交通大臣、加藤勝信 自民党総務会長などの錚々たる方々が出席)
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令和2年(2020年)9月創立60周年記念祝賀パーティー(赤羽一嘉 国土交通大臣、加藤勝信 厚生労働大臣、萩生田光一 文部科学大臣、栗田卓也 国土 交通省事務次官など日本の重鎮の方々が出席)
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令和3年(2021年)10月第62回定例総会(渡辺猛之 国土交通副大臣、藤川政人 元財務副大臣、和田信貴 国土交通省総合政策局長などのお歴々の方々が出席、また歌唱力が大変高い「ベイビー・ブー」のミニコンサートを開催)
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令和4年(2022年)5月5月特別例会(斉藤鉄夫 国土交通大臣、萩生田光一 経済産業大臣、河野太郎 自由民主党広報本部長など錚々たる方々が出席、また「ベイビ ー・ブー」とLe Couple(ルクプル)「藤田恵美」さんのジョイントコンサートを開催)
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令和4年(2022年)8月会員数が80社となり、過去最高の75社を更新
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令和4年(2022年)9月第63回定例総会(松野博一 内閣官房長官、石井浩郎 国土交通副大臣、加藤勝信 厚生労働大臣、井上信治 元国際博覧会担当大臣・内閣府特命担当大臣、長島昭久 元防衛副大臣・衆議院北朝鮮拉致問題特別委員長、和田信貴 国土交通審議官など日本の国を背負って立つ重鎮の方々が出席、また橋本聖子 元東京オリンピック・パラリンピック担当大臣の特別講演会を開催)
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令和5年(2023年)9月64回定例総会・懇親会を帝国ホテル(東京都千代田区)で開催した。
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令和6年(2024年)9月創立65周年記念祝賀会を石破 茂自民党新総裁 (翌10月1日に第102代内閣総理大臣に就任)をはじめとする政官界の実力者および業界団体トップ多数臨席の元、東京會舘(東京都千代田区)にて開催